2021/10/19

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会を終えて ~その2 パラリンピック自国開催の意義~

パラスポーツ、車いすバスケットボール

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会が閉幕した。コロナ禍で1年延期された大会に対し、開催可否を含む、実に多様な意見や議論が沸き起こり、多くの問題提起を突き付けられた大会であるということは、前回も述べさせていただいた。

改めて、そんな中で開催された本パラリンピックの自国開催の意義を考えてみたい。残念ながら本大会は無観客開催となり、当初10万人を想定していた「学校連携観戦プログラム」により会場で観戦した子供たちは1万5千人に留まったという。きわめて残念なことの一つである。一方で、奇しくも、コロナ禍で平日の日中に自宅でテレビを観るという機会が多くの人にあり、会場に行けないまでもテレビ観戦をされた方は、幸いなことに想定以上ではなかったかと思う。そのことで、多くの人に観て頂き、応援して頂いた感触、また、SNSでの発信が功を奏した感触もあった。1964年の東京大会に次いで、2回の夏季パラリンピック開催を初めて成し遂げたということだが(そのことさえ、多くの日本人の記憶にはないかもしれない)、前大会に比して、圧倒的に多くの人が、何かしらの機会でパラリンピックに触れ、パラスポーツを観てくださったことの意義は何だろうか。

ぜひ、お一人おひとりの中に、感じ取ったものを、振り返り、できれば言語化し、周囲の人たちと話してみて頂きたいと思う。

一人ひとりの価値観や感じ方は違うので、一律に総括する必要はないが、私自身は、こんなことではないかと考えている。

1.パラスポーツの競技性とアスリートの「障がい」という個性のとらえ方

パラスポーツが、リハビリテーションの一環であり、社会福祉としての顔をもっていた1964年当時との一番の違いは、パラスポーツの「競技」としての見方が進んだことだと思う。まさに「競技として純粋に面白い」「迫力がある」と頂いた感想はその現れであり、選手たち自身も、トップアスリートとして自分たちの競技者としての側面を見てほしいと考えているのではないかと思う。そうすると、「障がい」というカテゴリーやその程度は、一つの見方として、五輪の柔道やレスリングにある階級と同じようなものと考えることもできる。

健常者にも、性差や、身体的特徴、性的指向などの多様性があるように、パラアスリートの「障がい」も一つの個性としてとらえることができるのではないだろうか。

2.人間の無限の可能性や、克服しチャレンジすることへのフラットな感動体験がもたらしたもの

今大会を観た人から一番多く聞いた声は、やはり「感動した」である。あえて言うならば、そこにフォーカスするか否かは別として、障がいをもつアスリートは、誰もが特別で過酷な瞬間とその後の克服のストーリを持つ。生まれながらの場合もあれば、突然の事故や病気など、様々、想像を絶する時間と物語を一人ひとりが持っている。その彼らが、持てる機能と能力を最大限に伸ばし、鍛え、そうして力を発揮するに至るこの舞台でのパフォーマンスは、人を感動させる。それも、フラットに考えれば、五輪選手でも同じなのだが、ハンディをもった選手故にというところも無論否定できない。生の子供の声を伝えてくださった友人がいる。「最初は、歩けない人、手がない、足がない、目が見えない、手がなくなってしまった部分を恐らく初めて見て、怖いと言っていた子供が、余りの競技レベルの高さにもはや畏敬の念をもって見ていました。家族でも学ぶことがたくさんあり、何度も感動しました。」

こういう機会が作れたことそのものが、この大会の意義ではないだろうか。この小さな野球少年や生でみた1万5千人の子供たちは何を感じただろうか。そして彼らが生きる社会はどんな社会になるだろうか。

3.スポーツという場や機会の広がりとそこから生まれる共生社会

本大会を通して、JWBFにも、様々な反応が寄せられた。その一つに、「車いすバスケをやってみたいのだが、どこでできますか?」という問い合わせだ。また、IPC特別親善大使であった香取慎吾さんの記事の中にも、こんなコメントが紹介されている。「子どもに障害があってうつむいていたけれど、今はどんな競技をやらせようかと考えています。」多くのパラリンピアンも、元をたどれば、地方でスポーツに出会ったことがきっかけになり、人生の目標に出会い楽しみを見つけたのだ。(もちろん、その後の血のにじむような努力と周囲のサポートがあったことは言を待たない。)

この声を次に繋げていくことも私たちの一つの大きな役割であり、自国開催の意義であると思っている。多くの人に、パラスポーツを知っていただき、スポーツに触れ、スポーツを観る、する、支える、どんな関わり方でもよいので、それができる機会やチャネルを広げていきたい。車いすバスケに限ると、日本全国には、74のクラブチームがあり、日本国内のレギュレーションに基づき、男女混合、健常者も同じチームでプレーしている。共に、スポーツを通して、身体能力や個性の違いを超えて、個々の能力を引き出し、共にプレーすることで体感できる感覚、これは、(曲がりなりにも私も体験したが)、体感としてダイバーシティ&インクルージョンを理解する、身近な方法であり、その先にある(小難しい抽象的な概念かもしれないが)共生社会の第一歩となると、私は信じている。

そういう意味で、パラリンピックはトップアスリートに注目されがちであるが、スポーツの本質は、発掘・普及であり、育成・強化は、極論すればそのためのもの、少なくともその流れが分断されるべきではないと考えている。

4.レガシーとしての、ハード・ソフト、そして文化は、未知数

JWBFの役員でもあり、現場の監督として、特任コーチとして、戦略の要となった及川晋平専務理事(男子代表監督)橘香織常務理事(女子代表特任コーチ)と、この間、たくさんの会話をしてきた。もちろん彼らは、私が関わるずっと以前からこの世界を支えてきた20年の経歴の持ち主である。

お二人からよく聞くのは、「東京開催が決まってから、ナショナルトレーニングセンターなどの練習環境、バリアフリー環境、強化費、スポンサー支援など、信じられないくらいの変化があった。本当に感謝している。」それが実感であろう。しかしながら、それらが今後も継続され、より強化されるかは、未知数である。むしろ、どのような評価がされるかは、これからの我々の活動にかかっている。また、社会全体が、真に共生社会となり、多様性を受け入れ活かしていける、インクルージョン社会になれるか、それは社会全体、私たち一人ひとりに問われていると思う。

個人的には、スポンサー支援や強化費などは、パラバブルの恩恵が続くとは思っておらず、危機感を人一倍持っているし、今後、新しい形でのパラスポーツ団体として、企業や人々に応援して頂ける新たなビジョンを構築し、それを情報発信し、その形を行動として社会に還元して、それこそ共に成長するパートナーとなっていかねばならないと考えている。

(これは、JWBFの中長期計画としても、多くのメンバーと共に取組んでおり、近い将来に、皆さんにお披露目もできる予定である。)

また、ボランティアの方々への海外からの評価なども注目に値する。これらも一過性でなく、今後様々な場面で、日本に真のボランティア文化が根付いていくことにも、個人的には期待が高まる。

 

少し、五輪に話を戻そう。今大会で新競技となった、スケートボードやサーフィン、スポーツクライミングを見ていると、スポーツ本来の楽しさや敵味方を超えて励ましあう友情のようなもの、勝利至上主義からは距離を置いた自由闊達な気風さえ感じて、純粋に、清々しさと未来への希望を感じた。

スポーツの在り方も、取り組み方、観方も、様々である。そのこと自体が多様性の現れともいえる。私自身は、スポーツやアスリート(パラスポーツを含む)が社会から隔絶された存在や乖離した価値観の「タコツボ」の中にあるのではなく、社会の中でのスポーツであり、スポーツを通して社会をよくしたい、車いすバスケを通してよりよい社会をつくりたいと、そうなれるはずと、本気で思っている。

改めて、本大会で多くの人に観て頂き、知って頂いた車いすバスケットボール。皆さんに感じ取ってもらったものを活かし、今後に繋ぎ、社会に還元し、「日本に車いすバスケットボールがあってよかった」と思って頂けるような社会や競技団体にしていく、そんな壮大な夢を持っている。

本大会で観て頂き、身近に感じて頂いたパラスポーツ。どんな競技でもよいので、次の機会があれば、ぜひ間近で観て頂き、応援して頂き、そして可能ならば、一緒に「混ざって」やってみてほしい。より感じるものがあると思う。

もしかしたら、「パラスポーツ」という言葉は、何年後かになくなっているかもしれないし、「五輪」と「パラリンピック」は一つの大会に融合されている未来があるかもしれない。

もちろん、本大会では、車いすバスケのみならず、全てのアスリートが、素晴らしいパフォーマンスを見せてくださった。それを支えてくださった、大会関係者、医療従事者、ボランティアなど多くの方々のいろいろな顔が浮かび、とても簡単な言葉で表すことができない。もっと言えば、代表に選ばれなかった選手たちのことも常に頭にあった。また、開閉会式では、選手のみならず多くの知り合いのパフォーマンスが見られて、サプライズと共に、彼らの堂々たる姿に心から感激もした。思いは尽きない。

(写真は、開閉会式に出演した友人たち。順に、上原大祐さん、武藤将胤さん、神原健太さん、マセソン美季さん。)

 

<左:開会式に登場したパラアイススレッジホッケーのパラリンピアン上原大祐さん。写真は本人提供>

<右:開会式にド派手に登場し、布袋寅泰さんと共演した武藤将胤さん。写真は本人提供>

<左:開会式に登場した車いすダンサーの神原健太さん。写真は本人提供>

<右:開会式にベアラーを務められた日本代表選手団の副団長のマセソン美季さん。(日本車いすバスケットボール連盟の理事でもあります)>

 

五輪・パラリンピック共に、コロナ禍での開催による感染拡大や医療体制ひっ迫への影響との因果関係、開催コストの投資効果など、厳しい評価と検証はこれからだと認識している。だからこそ、本東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会をやってよかったといえる社会にこれからできるか、いや、しなければと思う。

 

長くなってしまい、まだまだ語りつくせないが、私などへも熱い声援や励ましの言葉、応援をしてくださった皆様へ、心からお礼を申し上げると共に、その恩返しはこれからしていきたいと申し上げたい。

本当に、ありがとうございました。

タグ一覧

ページトップに戻る