2021/09/25

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会を終えて ~その1 車いすバスケットボール活躍のご報告~

パラスポーツ、車いすバスケットボール

<車いすバスケットボール男子代表決勝(対アメリカ戦)のオープニング>
(私自身は、講演先の盛岡市で岩手県バスケットボール協会の皆さんとTV観戦させて頂いた。)

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会が閉幕した。コロナ禍で1年延期された大会に対し、開催可否を含む、実に多様な意見や議論が沸き起こり、多くの問題提起を突き付けられた大会だった。

特に、この五輪・パラリンピックの「成功・失敗」という短絡的な議論ではなく、日本社会への様々な問題が浮き彫りになったことは間違いない。

私自身は、事実関係の全貌を把握していないことに対して、一面だけを見て批判することは避けたいと思っているが、少なくとも、五輪の存在意義、日本組織の旧態依然とした密室的意思決定構造、人権や多様性への意識の低さ、世界のスタンダードからの乖離などの問題が露呈したことは、率直に受け留め、うやむやにすることなく議論の俎上に再度載せるべきという思いを強くした。 この時期に「オリンピック憲章」が差別を禁止している「性的志向」について、日本では、「LGBT法案」が国会提出を見送られたことも象徴的であるし、新たな問題として、選手のメンタルヘルスを切り口にしたスポーツの在り方・取り組み方も考えさせられた。また、アメリカで起きた女子体操界のセクシャルハラスメントと関連組織の対応についても、個人的には、スポーツ界全体の問題の氷山の一角が顕在化した、重く受け留めるべき問題だと感じている。これらのことは、一個人としてもスポーツ競技団体の一役員としても、タイムリに議論の俎上に載せ、このコラムでも取り上げていこうと思っている。

 

前置きが長くなってしまった。

本コラムでは、私が末席で連盟(車いすバスケットボール連盟 以下、JWBF)役員として関わっている「車いすバスケットボール」競技について、主に、パラリンピックでの活躍を紹介したい。

車いすバスケットボール。今回のパラリンピックで、初めて観た方も多いのではないだろうか。そんな方々の感想をぜひ聞いてみたい。私のところに届いたのは、「競技として純粋に面白い」「迫力がある」「戦略がわかりやすい」「ルールがわかればより観やすい」「応援したくなる」「感動した」などのポジティブな感想だ。

本当に、ありがたい。

車いすバスケットボールは、本東京大会で、男子は初の銀メダル、女子は6位入賞という快挙を成し遂げた。もちろん、メダルや入賞という価値も高いが、これまでほんの短い間だが、ファンやボランティアとしてみてきた数年、そしてJWBFの役員としてみてきたこの2年間を思うと、ここまでのプロセスに本当に感謝し、頭が下がる思いである。

私の知る限りではあるが(もちろん、過去に歴史を積み上げて下さった先人たちのご尽力あってのことであるという前提で)、コロナ以前からのコーチ、スタッフ陣への強化の取り組みにおいても様々なことがあったし、特にコロナ禍では、合宿が中断され、ガイドラインもまだない頃は、誰も体験したことのない不安と恐怖を前に、関係者のモチベーションが不安定になったのも事実である。

ようやく、合宿が再開されたころは、もともと日本全国の地方から招集している代表強化選手の集まりも心もとなく、これでチームの強化ができるのだろうかと、内心不安を覚えたこともたびたびあった。

そのような、コロナ禍での様々な困難や立ちはだかる壁を前に、不安を乗り越え、葛藤も抱えながら、選手、コーチ陣、スタッフほか、チームを支えるすべての方々、そしてずっと以前から応援してくださったスポンサー企業やファンの方々の想像に余りあるご尽力のおかげで、あの舞台に立てたことが本当に奇跡のようでもある。改めて、関係者の方々、そしてその思いを背負って闘い切った選手たちに心から敬意と感謝をお伝えしたいと思う。そして、男女ともに、一定の成果を得られたのは、(私などが言葉にするのは僭越なのだが)、コーチ陣が練りぬいた明解な戦略、そしてその戦略を実現するために、肉体づくりから合宿のできない間の自主練習、合宿再開後のハードワーク、そしてメンタル強化を自らに課し、愚直に取り組んできた選手はじめとするスタッフ、コーチ陣、全ての支える関係者の皆さんの尽力のおかげである。その間に素晴らしいチームワークも形成された。

<男子予選リーグ初戦コロンビア戦を終えて><女子予選リーグ初戦オーストラリア戦で価値ある1勝>

さて、ここで、車いすバスケットボールを見るうえで重要なルールである「クラス分け」についてご紹介しておきたい。

障がい者スポーツのほとんどがもつこの「クラス分け」というルールは、障がいの程度を「クラス」で表すことにより、同程度の障がいをもった者同士が競えるような公平性や、団体競技では個々人の持ち点の合計点を何点以内にするというルールによって、障がいの重い選手にも出場機会を与えるという機会均等を狙ったシステムである。

例えば、陸上の100メートル走は、五輪では男女1レースずつだが、パラリンピックでは、障がいの程度によりレースが分けられるため、男子16、女子13のレースが行われた。視覚障害や脳性麻痺、脊髄損傷による車いす選手、切断などによる義足の選手というように、(限りなく厳密にすることは難しいが)ほぼ同程度と想定される障がいの選手たちで、レースが行われるのだ。

車いすバスケは、障がいの程度によって個々人に1.0(障がいが重い)から4.5(障がいが軽い)までの持ち点が与えられ、常にコート上に立つ選手の持ち点の合計が14点以内でなければならず、そのルール内でチーム編成や戦略を考えなければならない。従来は、障がいによる身体機能の低いローポインターは、ハイポインターを活かすことが役割とされてきたが、昨今は、どの国も競技力が高まり、ローポインターでも得点に絡み、シューターとして活躍する選手も多く、今大会でも多くそのようなシーンが見られ、拍手を浴びたことも記憶に新しい。

「クラス分け」は、パラスポーツ観戦の難しさでもあるが、その奥深さや楽しさを味わっていただけるポイントでもあるので、ぜひ、ご承知おき願いたい。

また、同時に、パラスポーツを通して、公平性とは何か、機会均等とは何かを考えさせられる奥深さを「クラス分け」の概念は内在しており、そのルール化や運用がパラスポーツの存在意義やその普及を考える上での重要なフィロソフィーだと個人的にもとらえている。

 

いずれにしても、斯くして、日本代表男子京谷和幸ヘッドコーチ曰く「ディフェンスで勝つ」「攻守の切替えの速いトランジションバスケ」「1.5倍の運動量」という明解な戦略を、選手たちは見事体現し、メンタルで負けることなく最後まで闘い抜いた結果、銀メダル、そして女子は6位入賞を果たした。

次回は、多くの議論を呼んだ、五輪・パラリンピックの意義について、私なりに整理をしてみたい。うまくまとめられるかは、甚だ不安であるが・・・。

… to be continued.

タグ一覧

ページトップに戻る