初めてボランティアのお話を。
私の友人に、全盲の大学の先生がいます。彼は、宮城教育大学で障害者教育の教員養成を行う教授、つまり、先生の先生です。長尾博先生といいます。私の母が長らくボランティアで「点訳」をしており、ずっと彼の様々な書物の点訳を引き受けていました。その彼が、生まれ育った滋賀県から仙台に移り住む際の少しばかりのご支援をしたことがきっかけで、私たちは知り合い、すっかり意気投合しました。
そして、それ以来、私は、彼が自身のホームページ「ムツボシ君の点字の部屋」で情報発信している「旅ガイド」の取材のための同行ガイドをするようになりました。「旅ガイド」は、彼の「視覚障害者でも旅をどんどん楽しもう」という思いを伝えるため、文字通り、彼が実際に旅した場所の記録から、どのように楽しんだか、楽しめるかを、多くの人々に向けて情報発信するサイトです。
私の役割は、彼が行きたい場所や私が選んだ場所についての事前調査やちょっとした事前交渉、そして、当日の同行ガイド、ホームページ掲載用の写真撮影や記事にするための解説、原稿のチェックなどです。
ここ最近同行した場所は、江戸博物館、朝倉彫塑館、お台場の蝋人形館マダム・タッソー、国土地理院と地図と測量の科学館などがあります。どうしても私が選ぶと「手で触ることが許されていて、音声ガイドが充実しているところ」という発想をしがちですが、彼は、実は、美術館に絵も観に行きますし(もちろん解説付きですが)、松島や函館のような風光明媚なところに観光旅行にも行きます。(いったい、全盲の彼がどのように景色を楽しむんだろうか?と、ごく普通に疑問を抱きますよね。それは、また改めて。)
ガイドをし始めたころは、右に立てばいいのか左がいいのか、腕のどこを持ってもらうのか、エスカレーターではどちらが先に立ちガイドすればいいのか、待ち合わせはどういう場所がいいのか・・・等々、疑問だらけでしたが、ようやく最近は勝手がわかると同時に、それでも毎回、目から鱗の驚きと感動をもって、私も私なりに小旅行を楽しんでいます。
さて、つい最近同行したところに、国土地理院併設の「地図と測量の科学館」があります。今日はそこでのお話を。私の感覚で言うと、展示物のなかで彼が満喫できたのは、おおよそ全体の2割くらいでしょうか・・・。この科学館自体はとても素晴らしい展示物があるのですが、残念ながら、視覚障害者である彼が、味わい、楽しめるのは、わずかに展示された「触地図」とその解説がいくつか、あとは、私と(このときは)現地のガイドさんの説明により、伊能忠敬の地図や、行基図などの古地図が「こんな風に描かれている」ということを説明したり、彼の質問に答えたりもしながら、想像の世界での「見学」となりました。
そして、国土地理院の食堂で国家公務員さんたちに紛れてランチを食べたり、売店で大学での教材に使える触地図を探して買い求めたり、屋外にある測量用の飛行機に触れたりして、一通りの見学を終えました。帰りは、毎回、ホームページに掲載する写真を選んだり、その写真の背景を確認したりといった打合せをして、感想を交し合いながら、先生の好きなコーヒーを頂きます。
さらには、ガイドの仕方がよかったか、ガイドしにくかったことは何かなど、私も、疑問に思ったことや感想は率直に話します。ざっくばらんで、底抜けに明るい長尾先生は、関西風のダジャレやネタで笑いをとろうとしたり、私にはドキッとするようなことも、笑い飛ばすようなところがありました。
しかしながら、今回は少し様子が違い、なんだか先生の顔色が冴えない。楽しめる展示物が少なかったからかなと思い、訊いてみると・・・。それもさることながら、あまりの「解説の点訳の間違いの多さ」に、怒りを超えて悲しくなったということなのでした。
少し長いですが、いつになく辛口の、先生のホームページから引用します。『・・・なぜ、こんなものが堂々と展示され続けているのでしょう。点字自体を誰が間違ったのかが問題なのではありません。間違ったままの点字がどうして、そのまま展示室に持ち込まれ、そのまま放置され続けてきたのかが問題なのだと思います。なぜ点字表記の専門じゃない人が作成したものがそのまま公開されてしまっているのか、国民の目や指に触れるまでの過程で点字の専門家になぜ評価してもらわなかったのか。点字はこんなに甘く見られていたのです。悔しくて残念です』
『点字は顔文字のような単なる記号ではないのです。多くの文化を背景にもつ文字体系なのです。まだまだ点字が「文字」として国の機関にまでも認識されていなかった…、それもムツボシくんたち点字使用者側からの啓蒙不足のなれの果てなのでしょう…。』
作った方々には、悪気があったとは思えませんし、3Dプリンターを使った触地図には可能性を感じると、先生もおっしゃっていました。ただ、あえて健常者に例えると、国の機関の展示物の解説表記に誤字脱字やおかしな日本語があることも考えられませんし、そして当然ながらそれが長く放置されたままになっていることもあり得ないでしょう。
ただ、彼らからすると「当然でないことが、口惜しくて悲しい」ことであるという想像力を、私たちがもつことが、大事なのではないかと思います。
最後は、長尾先生らしく、ギャグで締めくくっていますが、私たちは、この指摘にある思いを自分たちの意識にしっかりと受け留め、理解すべきと思いました。
今日は、少し厳しい話からスタートしましたが、いつもは先生との小旅行は、笑いが一杯の楽しい旅であり、また多くの発見や気づきを頂き、私にとって本当に貴重な時間であり、ライフワークとなっています。
実を言うと、私には、先生のガイドがボランティアという意識はないのですが、私が障害者ボランティアに深く関心を持つようになったきっかけとはいえるので、ここにご紹介をしました。これからも、少しずつ、ご紹介していければと思います。