2017/06/18

京都新聞の「多士済々」に掲載していただきました!!

講演・イベント・番組出演・取材

少し前になりますが、京都新聞の囲み記事「多士済々」に掲載していただきました。

「京都新聞」と言えば、京都、滋賀を中心に発行されている地方紙でありながら、両県の主読紙としての地位も確立され、いわば、両県民なら誰もが家庭や職場で毎朝手にする新聞。私の故郷の滋賀でも、全国紙と本誌や、主読紙として本誌を購読されている家庭が多いと聞いています。また、個人的には、かつて本誌の論説委員長をされていた我が家の恩人のような方に、結婚披露宴で主賓を務めて頂いたこともあり、私自身も、尊敬を寄せ、思い入れのある新聞です。

その京都新聞の記者の方が「東京で活躍する、京都、滋賀出身者を取材したい」と、人づてに訪ねて下さいました。聞くと、掲載内容は「キャリアや取り組み、それらの活動にかける思いや経緯、故郷に対する思いや提言」とのこと。ちょうど、滋賀県の東京での情報発信をお手伝いする活動や、滋賀で地域活性に取り組む人たちとの活動へのお誘いを受けたこともあり、取材に応じることで、「滋賀と東京」を繋ぐ何かを伝えられればと、「私でお役に立つなら」との気持ちでお受けしました。一方で、「滋賀や京都×私の取り組み」とこじつければ、シーズンが始まったばかりの「Bリーグ」「滋賀レイクスターズ」「立命館大学校友会」などの認知にも繋げられたらという、ちょっとした「下心」もありました。笑。

とはいえ、サンプルで送って下さった過去の記事は、「有名レストランのシェフ」の方や「映像プロデュ―サー」の方など、正真正銘の「多士済々」な方々。ふつうの大企業のサラリーマンからキャリアをスタートし、ふつうの自営のビジネスを営む私が果たして「ネタ」になるんだろうかと、だんだん不安になってきました。

取材は、2回に分けて行われました。まずじっくりとインタビューを、そして「活躍する場」として相応しい写真を撮りたいという要望でした。通常、インタビューは、されるよりもする方が圧倒的に多い私。久しぶりに受けたインタビューは、さすがに新聞記者の方。ほぼ2時間半くらいで、子供のころから、学生時代、社会人になってからのキャリア、会社員時代から転職、独立起業、さらにはBリーグ、立命館、そして私自身の故郷滋賀との関わり方・・・それらを通して、私の起こした行動と心の動きの関連を見事に、引き出してくださいました。自分でも「そうだったのか!」と、改めての「気づき」に出会うことは、インタビューの効用。多少、S記者の想像力で話がつながったところが無きにしも非ずですが、そこは私への期待値と前向きに理解。あちこちの飛び地に飛ぶ私の話に、見事に一本の軸を通してくださいました。

そして、難題の写真撮影は、「人財育成の場」が良いということになり、しかも「スポーツ」を絡めてはということで、ちょうどその数日後に予定されていた「日本トップリーグ連携機構のGM(ゼネラルマネジャー)研修」の場となりました。カメラマンも兼ねるS記者は、わざわざ「味の素ナショナルトレーニングセンター」まで出向いてくださり、撮影することに。

結果として、出来上がった記事が、トップの写真です。よく見ると、緊張でちょっとひきつった顔をしていますが、リアルな研修の場なので、「その真剣さが伝わる良い写真だ」と後日、その「筋」の専門家の方からも褒めて頂きました。

この記事が掲載された日は、ちょうど、京都での立命館大学の校友会の常任幹事会の日でした。朝いちばんに、高校の同級生がいち早く見つけSNSにアップしてくれ、その日の午後の会議では、京都新聞と縁の深い放送局「KBS京都」の元看板アナウンサーでいらした先輩のA副会長が、会議の場でわざわざコピーをして配布して下さいました。ちょうど翌日、観戦ツアーに出向いた「滋賀レイクスターズ」のS社長からも「読みましたよ」と声をかけて頂きました。自分のことを話す長時間のインタビューで、「立命館大学校友会」と「滋賀レイクスターズ」にも触れることができて良かった、忘れずに記事にして頂けてよかったと、改めて一安心。

ふつうの人間のふつうの「記事」が、皆さんに興味を持って頂ける「ネタ」になったかは、甚だ疑問ですが、改めて「人と組織」「組織と多様性」についてコンパクトに伝えて頂けたS記者に感謝するとともに、「滋賀と東京を繋ぐ」活動への自身の思いも新たにしました。

 

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