人の成長に欠かせないものに、「内省力」があります。
あるプロジェクトでの会話。
私たちは、プロジェクトの随所にインタビューによるメンタリングを取り入れています。このプロジェクトでも、開始前、中間に引き続き、プロジェクト終了時に、参加者全員のインタビューを行いました。そのとき一緒に参加してくれたパートナーが私に質問をしました。
「竹内さん、チームが成長しているのに、個人が成長していないことってあるんですか?」
「うーん」一瞬、質問の意図や背景を考えた私は、「ないない」。 それは、ありえないのです。
個人が成長したからこそ、その「個人の力が結集して、チームの力となり、チームが質の高いアウトプットを出すことができる。」そう、そのはずなのです。
では、なぜ、彼女は、私にそんな質問をしたのでしょうか?
そのプロジェクトでは、半年をかけて「経営方針を具体的に実現する為の施策を、経営会議に提言する」というテーマを3つのグループに分けて検討して頂きました。
当初は、議論の仕方から、問題の分析、課題の捉え方、施策の中での優先度の付け方、なにもかもが初めての経験。誰かが発言するとそれに引っ張られ、また別の発言があるとそれに引っ張られと、議論は迷走し、その日のゴールにたどり着かない。正直、このプロジェクトは出口にたどり着くだろうか・・・いや、どうしたらたどり着くことができるだろうか・・・毎回、私たちファシリテーターは頭をひねり、時に議論にも口をはさみ、ゴールを提示し、若干チカラワザも含めて、何とか議論を後押し。。。
そんな回を重ねるうちに、彼らなりに(想定よりも時間がかかったため)プロジェクトの時間外を自分達で捻出し、宿題を課し、進め始めるようになりました。そのうち、毎回のゴールを自ら設定し、方向性を定め、意見を重ね、リーダーがまとめていく、その繰り返しが何とかできるようにもなってきました。また、それぞれのメンバーの方々が、その持ち味を発揮し始め、おのずと役割分担ができてくるようになり、曲がりなりにも、チームビルディングらしきものもできあがってきました。
特に、3分の2辺りを過ぎたころから、急激にリーダーもメンバーも力をつけ始め、想定外の飛躍をもって、なんと「経営会議への提言」というゴールにたどり着いたのです。 めでたし、めでたし。
そして、そのプロジェクト終了後の全員へのインタビュー。
当然ながらメンバーの方々に「あなたはこのプロジェクトでどんなことを学びましたか?」「あなたのどんな長所や強みを伸ばし、その成果が発揮できましたか?」と訊きます。それらを振り返り、彼らの中に定着させるのが目的です。しかしながら、なんと、その答えが8割方「うーん、わかりません。」なのです。
「あらあら???」。はたと、私も考え、パートナーの彼女も「???」。それが、冒頭の質問につながるのです。
彼らの一番の弱点は何でしょうか? 答えは「内省力」です。
全員が「勉強になりました」と言いながら、「できたこと」「学んだこと」を、言うことができない、具体的な案件や場面で学んだことを「一般化」できていないのです。
例えば、議論の仕方でも優先度の付け方でも、具体的に学んだことを、一般化、抽象化し、自分の「引き出し」にしておかないと、人は、それを別の場面で使うことができません。インタビューがなかったら、危うく「成果が出てよかったね」に隠れて、せっかくの彼らの成長を「スキル」という形に昇華させずに終わらせるところでした。それでは、次にまた同様の機会や違う状況の際に、本プロジェクトで学んだはずのスキルを使うことができません。それは「スキル」とは言えないのです。
具体的な学びを、メソッドとして自らの「引き出し」に自ら意識的にしまってこそ、また違う具体的なケースや違う場面で「引き出し」から取り出して使う事ができる、それが「スキル」というものなのです。
「スキルを身に着ける」=「人が成長する」には、このビフォー・アフターの「内省力」=自分ができること/できないことを、客観的にみつめ、ある経験を通して学んだ/できるようになったことと、その成長度合いを意識し、それを意識的に自分の中に落とし込むこと。それを再利用できる形に、「引き出し」に入れて、使いまわしできること。
それが、人の成長(スキルの獲得)であり、人の成長には、この「内省力」が必要なのです。