2016/10/12

「Bリーグ」、開幕しました!

スポーツ・バスケットボール・Bリーグ

9月22日(木・祝)、代々木第一体育館。「歴史的開幕」と銘打ち、「Bリーグ」が開幕しました!

煌びやかな光と音によるコンサート会場かと見まがう演出、PKCZ®やShuuKaRenといった豪華な出演者によるオープニング、赤と白に染まり二分された満員の観客席、そしてゲーム中にも光りが行き来するLED床のコート、地上派やBS、スポナビ、LINEと見たこともない数のメディアのカメラ、多くのVIPやゲストたち・・・本当に夢の「劇場」にいるような華やかな幕開けでした。

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その音響と高揚感に包まれる観客席の中で、私は、目を閉じてこの1年間に思いを馳せていました。理事会での様々な議論や決議、大河チェアマン率いるリーグスタッフの皆さんの様子、全国のアリーナで観たbjリーグやNBLの試合、クラブの方々との会話、そしてつま恋での選手研修・・・。そのときどきで熱く語られ、でも、まだ空中で飛び交っていた言葉が、現実として形になり、今、目の前にあることが、奇跡のようであり、現実であることに、心から喜びとともに熱いものがこみ上げてきました。贅沢を言うと、VIP席などではなく、コンクリートの通路に立ちっ放しのリーグスタッフのみんなと一緒に、この瞬間を分かち合いたかったという気持ちでした。

それくらい、この開幕を一番のご褒美にしてほしかったのは、リーグスタッフの皆でした。もうここ何週間、何か月と、この日に向けて、不眠不休の日々を続けてきた彼ら彼女らは、くたくたに疲れ果てているはずが、その日(もちろんテンション最高潮ということもあると思いますが)、アリーナという舞台で1万人の観客の注目を一身に浴びている選手たちよりもむしろ、最も活き活きと輝かしく、誇らしく、私の目には映りました。もちろん、私などが言うまでもなく、誰も味わったことのないこの日の高揚感・達成感を、彼らが一番よく知り、誇らしく思っていたことでしょう。

そして、それはただ「よく頑張った」ということだけでなく、「日本のバスケを生まれ変わらせる」というミッションを自らに課し、葦原事務局長自らだれも見たことのない事業戦略を立て、自分たちへの要求水準を常に高く設定し、そして、それらをこれまでにないスピード感をもって次々と実現する。開幕のぎりぎりまでできることがないかとやり切る、それをやり抜いたことへの達成感であり、高い誇りであったと思います。

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「Bリーグ」はこの開幕を「歴史的瞬間」と銘打ち、「BREAK THE BORDER」(超えて、未来へ)というコンセプトを打ち出しました。「前例を笑え、常識を壊せ、限界を超えろ。」そうでなければ、「バスケは生まれ変われない」ということを誰もが知っていました。でも、誰もそれができなかった長い歴史がありました。一方で、そのコンセプトは打ち出せば打ち出すほど、それを自らに課し、当然ながら、自分たちにプレッシャをかけることになります。チーム「Bリーグ」は、その危機感を見事に共有したチームでした。その危機感、緊張感と覚悟をもったメンバたちは、一人ひとりが、それを楽しんでいるようでもあり、その機会や場を与えられて自由自在に泳ぎ回っているようにも見えました(皆さん、失礼)。もちろん、一人ひとりの肩にある重圧は想像に難くないと思いますが、それを楽しむことのできる一人ひとりの底力と明るさ、拠りどころとなる使命感、そして個々のもつ多様性を活かし発揮させることのできるリーダシップとチーム力、それが、彼ら、チーム「Bリーグ」の最大の強みだったように思います。(チェアマン、事務局長はじめ、リーグスタッフは、様々な業界や他スポーツ界など外部人財から構成されている、まさに多様性を地で行く組織なのです。)

もちろん、末席に関わる者として、単に、横から評論するつもりはありませんが、つかず離れずの近くにいて彼らと接し、また、選手研修などで共に一つのミッションに取り組むことができ、彼らがストラテジックで高いコミットメントによりこの偉業を成し遂げたこと、そういうチームであったこと、普段は表に出ないだけに、そのことに心から敬意を表し、書き留めておきたいと思っていました。

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そして、もうひとつ、「Bリーグ」の誕生を語る際に、忘れてはならないことがあります。それは、私が2015年9月に理事に就任する以前の経緯です。このことも、普段はそうは詳細に表に出ることはありません。ただ、2014年秋にFIBA(国際バスケットボール連盟)から国際制裁措置を受けたこと、これは、多少大げさに聞こえるかもしれませんが、日本のバスケットボール業界に対する「死刑宣告」に近いものだと思います。そうなった経緯や事実関係を私は正しく知っているわけではありません。誰が悪い、彼が悪いという議論も、もはや意味がないと思います。ただ、あのままでは、63万人の競技者登録人口(国内ではサッカーに続く2位)を含む、バスケットボール競技者・愛好者への、世界からの退場警告であったことは間違いありません。キャリアが見えないとか、選手が食べられないとか、そういったレベルのことではなく、もはや「執行猶予」は半年なく、制裁がそのまま解除されなければ、子供たちも含めた競技の将来や夢を全て根こそぎ奪い去ることになります。
そこから、多くの方がご存じのように、2015年1月に川淵三郎氏をチェアマンとするタスクフォースが立ち上がり、約半年で国際制裁措置の解除、女子バスケットボール日本代表のアジア選手権での優勝、リオ五輪出場と活躍、そして、「Bリーグ」の誕生という、ある意味での組織改革、人心一新が、強いリーダーシップのもとに、とてつもないスピードで進んでいくことになるわけです。

もちろん、今でも、様々な立場、いろいろな意見、そして、過去、様々な(誤解を恐れずに言うと)処置・処遇があり、痛みを伴ったことも事実です。ただ、このまま腐って死にますか?生きていきたいですか?と問われたのですから、大同小異、究極の願いはただ一つだったはずで、そして、結果は、明らかです。

その時の経緯を、同じ「Bリーグ」の理事を務め、タスクフォースの立上げから川淵さんと二人三脚で尽力してこられた弁護士の「境田正樹」先生が、開幕の直後にfacebookにアップされ、それが記事になりました。ぜひ、その記事を皆さんに読んで頂きたく、境田先生にご快諾を頂きましたので、上記リンクからご一読いただければと思います。まさに、私など想像もつかない多くの方々の尽力と痛みの歴史の上に、今のバスケットボール業界、そして「Bリーグ」の開幕という「夢」の実現があったということに、感謝してもしきれません。

私が理事になったのは、それらの多くの問題の関所や大きな山をほとんど超えてしまった後、残されたのは「Bリーグ」そのものの基盤づくり、そのスタート地点である、今から1年前ということになります。

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歴史に残る残らないを超えた私の知らない時間の多くの人々のご努力、そして、この1年のリーグスタッフやクラブ関係者の多くの方のご尽力で、この日を迎えられたこと、その場に立ち合えたこと、その感謝とこみ上げる思いを噛みしめていたら、自然とスタッフの皆なやコートの選手たちが滲んで見えました。

まだまだ踏み出したばかり、課題は山積みではありますが、正しい危機感とチャレンジする心、そして、夢をもって、日本のバスケットボールの発展に、末席ながら貢献していけたらと思います。

ぜひ、多くの方に、バスケットボールを楽しんで頂き、そして、応援して頂けたらありがたく思います。

「BREAK THE BORDER!」

 

 

 

 

 

 

 

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