2015/03/14

校友会に学ぶ。vol.1 組織運営とリーダシップ

立命館・立命館大学校友会

「会長就任、おめでとうございます。」「応援するから。」「全力で支えますよ。」と多くの方から、お電話やメッセージを頂きました。

多くの方にお叱りを受けることを承知でいうと「おめでたい」という実感はありません。本当にすみません。「『こんなこと』になってしまった」というのが、正直なところです。とはいえ、周囲の方々の温かさとやはり心強さを、より一層感じるこの一か月でもありました。

私、竹内が、立命館大学の東京校友会に関わったのは、恐らく、ここ12~3年だろうと思います。(校友会とは、大学に公認された卒業生組織で、立命館大学の場合は、京都に本部がある全体の立命館大学校友会と、47都道府県+α毎に組織化された各都道府県校友会とがあります。私は、現在、本部校友会と東京校友会の両方の役員を拝命しています。)

多いときは週の半分以上が校友会関係の公務(京都や他県への出張含む)や連絡やフォローアップ等で追われてしまうこともあり、否応なく大きな部分を占めています。文字通り「仕事そっちのけ」です。もちろん、良い意味でも、刺激を頂き、人に支えられ、また「組織運営」や「リーダーシップ」を学ぶ場でもあると思っています。このコラムでも、いずれ触れようと思っていたので、これを機に、少し遡って紹介したいと思います。

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東京校友会の活動そのものは、別のところで観て頂くとして、私が置かれた立場からの「組織運営」や「リーダシップ」という観点で書こうと思います。

ちょうど前職に転職する前年の2002年。当時の(亡くなられた)東京校友会のS幹事長に誘って頂いたのを機に校友会に参加し、幹事会にも呼ばれるようになりました。

その後すぐにS幹事長を支える事務方の女房役としての副幹事長を拝命して8年、その次のY幹事長が急遽転勤となり、やむなく後を引き継ぎ幹事長になり、今般2期目を終えたところでした。

 

幹事長職も長くやるつもりはなかったので、次の世代に引き継げるようにと、就任当初からすぐに、どうすればうまく継承できるかを考え始めました。体制上増やしてもらった副幹事長さん(3名)に全ての情報を共有すること、何でも彼らに相談をし自分の決断や判断とそのプロセスを見てもらうこと、私がすべき判断はできるだけ早くデシジョンし「ことを前に進める」機動力ある運営を行うこと、できるだけ主体的に動ける人を増やし裁量権をもってもらうこと、そんなことを心がけていました。

 

丁度その頃から、京都以外の地方での「オール立命館校友大会」(全国規模)の開催や、全国での各都道府県校友会との交流など、大学全体としても、また校友会活動そのものも活性化してきたこともあり、変革の時期でもありました。

きっかけとなったのは、東京校友会の幹事長職と同時に引き継いだ、新潟での「オール立命館校友大会」実行委員として、東京から80名を連れて行かねばならないという集客問題を抱えたことでした。この手の「集客」問題は、新潟大会に拘わらず、校友大会や各種イベント、そして現在の寄付活動なども、いつも付きまとうテーマです。

私自身は、そこに短絡的に「ノルマ」的な発想を入れるのは、若い人たちを呼んでいく必要のある今後の校友会運営においてサステナブルではないと考えていました。また、もう一つの課題は、多くの他県と異なりほぼ「職域」をもたない東京は、組織票を使わない/使えないという良き(?)伝統がありました。(これは、また機会があれば、別途述べます。)

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ノルマ的手法を使わず、「個」単位で人を集めるということは、自分で自分の首を絞めるような二重苦であることはわかっているものの、それを前提にどうしてよいか・・・考えあぐね、ユウウツになったことが昨日のことのように思い出されます。

また、新潟大会への準備と同時並行で、役員による運営体制のみならず東京校友会そのものをどうやってすそ野を広げ、「多様性」に応えていくかを考えなければいけないと、思い始めました。

個別論は省きますが、改めて認識したのは、校友会のような活動にも、明らかな「戦略」が必要ということと、これも当たり前ですが、ボランタリーな活動だからこそ、それを途中で投げ出さず粘り強く実行していく「実行力・推進力」が必要ということです。

そして、そのためには、いろいろなところで「人に動いてもらう」、「人を動かす」力が必要なのも、言わずもがなでした。

・・・to be continued.

 

 

 

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