2018/08/31

安田祐輔さんの著書「暗闇でも走る」を読んで。

本や映画の感想

安田祐輔さんは、「不登校や引きこもり、中途退学者の学び直しを支援する進学塾「キズキ共育塾」」を運営する「株式会社キズキ」の経営者です。 

「何度でもやり直せる社会を作りたい。」

実際に筆者の安田祐輔さんにお会いしたときには、そんなことはほとんど語られませんでした。一度だけ、軽井沢の自然の中のレストランで、友人とともに自然のようにめぐり逢い、食事をしたのですが、彼が立ち上げたばかりの事業のことを少し話してくれたときも、彼の生い立ちはもちろんのこと真の起業の動機などもあまり語られず、この本で書かれているようなことは想像もできませんでした。それは彼がシャイなこともあるし、初対面だった私たちに最初から持論を展開されることを躊躇というか遠慮されたからだろうと、今この本を読んで、彼の人生や性格を垣間見て、改めて認識をしました。 

安田さんプロフィール写真

その爽やかで育ちの良ささえ感じる風貌の安田さんは、実は、実親からのDVや難しい家族関係、発達障害、うつ、引きこもりと、長い間「暗闇」の中の人生を彷徨い続けていました。

「自分が生まれてた意味は何だろうか?」が見つけられず、「僕はなぜ生まれてしまったのか?」「こんな苦しい思いをするために僕は生まれてきてしまったのか?」・・・誰からも必要とされていないと思い、すべての人に「復讐」したいと考え、それでも彼は「生きる意味」を探していました。

 ただ彼の「復讐」は「僕自身が誰よりも立派な人間になること」であり、「生きる意味」は「社会の役に立ちたい」であり、これ以上「僕」が苦しまないためには自分が努力するしかないと思い至ります。運命に抗い、運命に負けたくないと、ぎりぎりのところで、自力で前や未来を見据える力に変えることができたのは、やはり彼の天性の「生きるチカラ」ではないかと思います。

 「暗闇」の中で見出した「自分が世界で役に立つ人間になりたい」それを「自分の生きる意味」と定め、今の事業を始めるに至るまでの実録と真情が、この本では、吐露されています。

 誰もが「何度でもやり直せる社会を」と彼が思い至るまで、そして、それを具体的な「不登校や中退者のための進学塾」を始める過程を、彼の「暗闇」そのものの告白、そして、彼自身の「再起(やり直し)」人生を、具体的な心の変化、受験・進学、大学生活、バングラデシュ訪問、就職における気づきや挫折の繰り返しの事実とその時々の真情を、丁寧に彼自身のその時感じたそのままの言葉で描かれていて、それがとても心を打ちます。

安田さんは、「人間は『尊厳のようなものによって生きている。」その「尊厳」が傷つけられた人たちも、誰でもが、「何度でも人生をやり直すことができる」と言います。そうなのです。日本は「やり直しがきかない社会」になってはいないか、だからこそ、失敗や過ちを犯した人を糾弾することによってしか、存在を示せない狭い心の人間が増えていないだろうか、そう思うことがあります。もちろん、過ちや失敗、そのことに寛容になることは難しいし、過ちは認め、償わねばならないことも多々あります。

これも安田さんの言うように、人間はそもそも弱いもの。ましてや、「孤独」と「憎悪」は、人を狂わせてしまう。そして、それは誰にでも起こりうること。だからこそ、人の「心の痛みがわかる」人になってほしい(なりたい)と、心から思います。

挫折から再起の過程で、一人でも生きられる「強さ」「人を憎まない」という価値観を、彼は自分の中に確立、自分ができることは「自分の変えられる部分を変えていく」と、決意されます。

そんな、安田さんの価値観は、心の奥深いところでとても共感できるものだと感じます。そして、彼がそう思えるのは、私自身は、彼の「暗闇」ゆえだけではなく、彼の天性の「柔軟で繊細な感性や、人への洞察力、そして優しさ」故ではないかと、想像します。 

彼の洞察から得た方法論の中には、大切なポイントが二つあります。ここも、私がこの本を読んで大きく共感した部分でもあります。

一つは、どんな挫折があっても、「人は物語を作る(挫折を物語に変える)」こと、すなわち、「〇〇のときに、××があったから、今の自分がある」と思うことができれば、人生を肯定し、生きていくことができる。苦しい経験があっても「そのおかげで今がある」そう思えることができれば、そう思う日がくれば、きっとやり直すことができます。(安田さんは、だから、そのことを支援するのだと。)

 二つ目は、困難な状況にある人々は、「頑張れる」気力が失われている。「頑張れない」ことに悩んでいる。

だから、支援の一歩は、「頑張る」ための手助けであり、「どうにもならない」という絶望を「何とかなるかもしれない」という思考や希望へと変化を促し続けること、頑張った先の未来を見えるように寄り添うことだというのです。私たちは、とかく「頑張れ」といってしまいがちです。言っていいのかなと思うことがあっても、それ以外に言葉が見つからないこともあります。

「考え方を少しずらして」、変えられるものを変えていく。そのことを「支援」していく、それが周囲や大人たちができることではないかと、私も思います。

 

私自身は、ごく普通の家庭に育ち、ぎりぎりのところで不登校にも引きこもりにもなりませんでしたが、「自分は何のために生まれてきたのだろう?」と悩んだ十代二十代、何度かの挫折と曲がりなりにも孤独や憎悪や様々な「赦せない」思いや葛藤も経て「あの時があったから今がある」と思い至れるようになったのは、四十代五十代になってからかもしれません(遅い!)。

一方で、「人はいくつになっても変われる」「人の心の痛みがわかる人間でありたい」「人と比べない」「過去を悔やまない」という価値観は、親からの教育も含めて、おそらく、二十代には確立した確信でもあります。

どんな人でも、人間には尊厳があり、「何度でも人生はやり直せる」そう思える人が増え、社会全体がそういう社会になることを、今、心から願います。

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いっしょにお写真を撮り忘れたので、軽井沢でご一緒したレストランの写真を。自然の中に佇む静かなレストランでの、とても爽やかな出会いでした。

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